11月5日、都内のホテルで開催された日本マイクロソフト主催の技術カンファレンス「Microsoft Tech Summit 2018」のオープニングキーノートには、米Microsoftのサティア・ナデラ(Satya Nadella)CEOが登壇するとあって、開始前から多くの人々による長蛇の列が作られていました。2014年にMicrosoftのCEOに就任して以来、強力なリーダーシップを発揮してアグレッシブな社内改革を次々と断行し、Microsoftを魅力あるテクノロジカンパニーへとふたたびよみがえらせたナデラCEOは、日本のビジネスユーザや開発者の間でもカリスマ的な人気を誇ります。激務の合間を縫って久々に日本のユーザの前に姿を見せたナデラCEOは、我々に何を伝えようとしたのか ―本稿ではキーノートでナデラCEOが伝えたメッセージの内容を読み解いていきます。
最先端テクノロジの導入が組織を変えていく
キーノートの冒頭、ナデラCEOは社会や企業におけるテクノロジリーダーがいまの時代にもっとも意識すべきテーマとして「テックインテンシティ(Tech intensity)」という言葉を挙げています。通常、テックインテンシティは"technological intensity"と同義で語られることが多く、R&Dなどの研究部門が企業(あるいは業界)の生産性にどれだけ貢献したかを数値で表す際に使われる言葉ですが、ナデラCEOはここ最近、講演やインタビューの場でテックインテンシティをイノベーションの連鎖を促す基盤的な存在として説明することが増えています。たとえば、新たにクラウドサービスを導入したり、非テックカンパニーが社内エンジニアの採用を増やすなど、いままでとは異なる変化がひとつ起こることで、ビジネスプロセスや従業員のマインドセットにも変化が起こり、やがてそうした変化が連鎖的に伝播することで新たなイノベーションの輪が組織の壁を超えて拡がっていく、そうしたイノベーションの連鎖を支える基盤をナデラCEOは"テックインテンシティ"と呼んでいます。
では企業がテックインテンシティを備えるには何が必要なのでしょうか。ナデラCEOはテックインテンシティを実現するためには
テックインテンシティ=(テックアダプション)^テックケイパビリティ
という方程式を意識する必要があるとしています。テックアダプション、つまり最先端のテクノロジをスピーディに導入することで変化の起点が生まれ、生産性の向上など具体的な変化とともに、すこしずつ組織の文化やマインドセットにも影響が見られるようになります。こうしたテクノロジをベースにした変化が良いかたちで連鎖していくとその企業には独自のテックケイパビリティ(デジタルケイパビリティ)が生まれ、それが差別化要因となっていきます。
ナデラCEOは「テックアダプションにひもづくテックケイパビリティの強化がテックインテンシティの確立へとつながる。どんな企業でもテックインテンシティを構築することができる。Microsoftは"地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする"をミッションに掲げているが、それにはすべての企業がテックインテンシティを備えることが含まれる。テクノロジのためのテクノロジではなく、より多くの人々がより多くのテクノロジを生み出すためのテクノロジ、Microsoftが作っていくのはそういうテクノロジであり、企業は我々のテクノロジをビルディングブロック(building blocks:構成要素/単位)として使ってほしい」と語り、どんな企業であってもテックインテンシティを実現する方法があることを強調します。逆にいえば、テクノロジとそれによる変化の連鎖を受け入れる覚悟がなければ、どんな大企業であっても競争力を失い、時代から取り残されてしまうということなのでしょう。
イノベーション連鎖の鍵を握るのは自立性とAI技術
ではMicrosoftは具体的にどんなテクノロジをテックインテンシティ実現のためのビルディングブロックとして提供しているのでしょうか。ナデラCEOは同社が提供する製品/サービス群を大きく以下の4つに分類しています。
- モダンワークプレイス … 従業員のパワーを引き出す
- ビジネスアプリケーション … 顧客とエンゲージする
- アプリケーション&インフラストラクチャ … オペレーションを最適化する
- データ&AI … 新たなプロダクトを生み出す
そしてこれらの製品/サービスはMicrosoftが提唱するクラウドとIoTの世界 ―「インテリジェントクラウド(Intelligent Cloud)」と「インテリジェントエッジ(Intelligent Edge)」をプラットフォームとして展開されていきます。ここで"インテリジェント"という言葉を使っているところからもわかるように、クラウドもエッジコンピューティングも、いまや自律的に拡張していくことが前提となっています。とくにMicrosoftを含むトップITベンダが訴求しているのがオペレーションにおける自動化の徹底で、それは多くの日本企業がいまだに手を付けておらず、苦手としている分野でもあります。テックインテンシティを実現するためには、自動化への道は避けて通れず、ここでどういうソリューションを選ぶのか、つまりテックアダプションの決定が迫られるポイントでもあります。
ナデラCEOはここで、インテリジェントクラウドとインテリジェントエッジの両方のプラットフォームの最適解として Azureの優位性を強調しています。Azureは現在、世界54ヵ所にリージョンをもちますが、ナデラCEOはキーノートにおいて日本にある2つのリージョン ―東京と大阪のデータセンターの容量を来年(2019年)までに2倍にしていく意向を明らかにしました。これは日本のユーザにとっても、日本マイクロソフトにとっても朗報でしょう。また、インテリジェントエッジにおいてもAzureをベースにした「Azure Stack」「Azure IoT」「Azure Sphere」などによるコネクティビティの優位性を強調しており、「工場のセンサーから家電まで、世界中のありとあらゆるデバイスをつなげることができる」と自信を見せています。
もうひとつ、テックインテンシティ実現に欠かせないテクノロジとしてナデラCEOはMicrosoftのAI技術について触れています。Microsoftはかなり以前からAIに対して大きな投資を続けてきましたが、ナデラCEOはここ数年の成果として、同社が開発するニューラルネットワークモデル「ResNet」の物体検知率が96%に達したこと(2016年)、人間の読解力をはかるテスト「SQuAD」でMicrosoftのAIが88.5%の正答率を出した(2018年1月)ことなどを挙げ、「MicrosoftのAIは画像認識、音声認識、自然言語処理のいずれの分野でも間違いなく世界の最先端を行っている」とあらためてその優位性を強調します。また同時に、GDPRなど世界のデータ保護規制を遵守し、AIの倫理性にも深く配慮していくことも明言しています。AIはMicrosoft自身にとっての最大のテックケイパビリティでもあり、同社がGoogleやAmazon、Apple、Facebookと伍していくためにもこの分野へのさらなる投資と法令遵守の姿勢は、これからも継続するいくことは間違いありません。このことは企業がAI技術を採用するにあたっての大きな指標になりうるでしょう。
このほかにもナデラCEOは「Microsoft 365」や「Microsoft Dynamics 365」といった同社のSaaSオファリング導入によるワークプレイスやロジスティクスの大幅な改善、プラットフォームの壁を超えたデータアプローチを支援するためにSAPとAdobeと提携した「Open Data Initiative」など、同社のビルディングブロックとしての優位性をアピールし、テックアダプション、テックケイパビリティからつながるテックインテンシティへの実現への道筋を示しています。
技術のコモディティ化を乗り越えて組織を進化させるには
キーノートの後半、ナデラCEOはコマツ、JTB×NAVITIME、トヨタ、JR東日本、ニトリ、東北大学など日本の大企業によるMicrosoft製品を使ったテックインテンシティ構築のケースを紹介し、これらの企業がテクノロジアダプションにおける正しい決断をしたことで、イノベーションの連鎖が生まれ、その企業をユニークにするテックケイパビリティが拡大したことを高く評価しています。「彼らはテクノロジによってビジネスを変化させた。テクノロジはいつか必ずコモデティ化する。しかし、正しく使えばエクスペリエンスを差別化し、特有のアウトカム(成果)を得ることができる。そして今日、この場にいる人々も必ず同じようなエクスペリエンスを得ることができると信じている」(ナデラCEO)
紹介された日本企業の事例の中でも、もっとも筆者の印象に残ったのはニトリによるMicrosoft 365(Office 365)の導入事例です。ニトリのケースはナデラCEOが降壇したあとにさらに詳しく紹介されたのですが、グローバル企業として世界各地でビジネスを始めたニトリにとって、つねに異なる場所、異なる時間帯で働く人々どうしが情報を共有し、コミュニケーションを取るための基盤を必要としていました。5年前にOffice 365を導入し(デジタルアダプション)、クイックな情報共有が実現すると判断したニトリ 上席執行役員 斎藤めぐみ氏らは、各部署に"アンバサダー"と呼ばれる人を任命し、Office 365の良さをその部署に伝える役割を担ってもらうようにしたとのこと。
「どの部署にもひとつのツール、ひとつの文房具に固執して新しいものを拒否する人はいる。そういう従業員を説得するには、同じ部署のメンバーのほうが適している。アンバサダーにはOffice 365の新しい機能が出るとすぐに伝え、部署内での指導役を果たしてもらった。また、月に一度、アンバサダー間でミーティングを行い、各部署でのOffice 365の使い方などを共有していった」と斎藤氏は導入当時を振り返っていますが、まさにひとつのテックアダプションを起点とした変化の連鎖であり、企業の新たなテックケイパビリティに結びついていった好例といえます。「現在ではOffice 365は空気のような存在で、我々になくてはならないもの。ニトリの強みは組織が平たいことで、基本的に社長、マネージャ、平社員の3階層しかない。だからこそ導入もうまくいった面はある。また、生産性を上げるためにはマネージャのデシジョンメイキングのスピードが重要になるので、今後はそのスピードをより速くしていくための方法をMicrosoftと一緒に模索していきたい」と語る斎藤氏。新たなテックインテンシティ構築に向けて、次のイノベーションに挑む姿勢は、デジタルトランスフォーメーションに悩む多くの日本企業にとっても見習うべき点が多いように思えます。
「私は日本に来るたびに日本の社会や企業から多くのことを学んでいる。日本はこれからも発展していくことは間違いない」と講演の最後を日本に向けてのポジティブなメッセージで締めくくったナデラCEO。Microsoftという巨大企業をわずか数年で生まれ変わらせたナデラCEOの講演は、最初から最後まで強いパッションにあふれていました。イノベーションの連鎖を生み出すテックインテンシティはテックアダプションとそれによるテックケイパビリティの拡張によって実現すると主張するナデラCEOですが、もうひとつ付け加えるとするなら、やはりナデラCEOのような強烈なパッションをもったリーダーの存在が欠かせない ―つくづくとそう実感させられたたキーノートでした。